「みんなとうまくやろう」は無理。選ばれないものが発生するのは仕方ないこと

昨夜、ちょっと気になる夢を見た。
だから今朝、夢占いを調べて見たのだが。


私はどこかのレストランモールのような場所にいて、食事をするために店を選んでいる。
そこには、おしゃれなカフェや和食、気軽に食べられる軽食コーナーなどもあり、私は各飲食店を見て回っていた。
ちょうど昼時だったのだろうか、各飲食店はそれぞれ賑わっていて、店の前で並んでメニューを見たり、順番待ちをしていたり、会計をしている人たちがいる。

そこで私は行ったり来たりしながら、何店舗もある各店の中を覗いては他の人が食べている食事を見たりして、どこへ入ろうかと悩んでいたのだ。

しかし、決められない。
店の前を何往復もしてメニューも見て、多くの人が行き交う中、ただウロウロするだけ。

夢の中で私は、そんな自分のことを「そうなんだよね、私、いつもこうして決められないんだ」って振り返っている。



実はこれ、現実の生活でも「私あるある」なのだ。
「今日は〇〇を食べる!」と決めて外食しようと家を出るのだが、途中で気が変わることは多々あることで。
自分でもかなり変だとは思っている。

あちこち買い物しながら、どこかの飲食店に入ってランチをしようと考えていても、結局決められずに帰宅して残り物で済ませるとか。
色々とメニューがあるファミレスにさえ入れずに、仕方なくコンビニでおむすびを買うとか。


なんだろう?
どうして選べないんだろう?

夢の内容が今の自分への何かメッセージのような気がしてならず、考え始めてしまった。

夢の中で、どうして私は、飲食店を選べなかったのか?
私は何を食べたかったのだろうか?


うーーーん、と考えてみて、ふと思った。

あ。
あれもこれも、という欲深さ?
いや、選ばなかったものに対しての後悔?
そっちか?


夢占いでは、レストランの夢は人間関係を表すらしい。
そこで考えてみると、何となく理解できた。

私は、みんなとうまくやろうと考えているのではないか?
どこにも角が立たないように、みんな平等にうまくいくように。

だから、どこの飲食店にも入れなかったのではないか?

あぁ、そういうことか。
なんとなく分かった気がした。



私は、物事全般に対して好き嫌いが激しく、嫌いな対象や興味がない対象には、徹底して冷酷な対応をしてしまう。
そんな自分を良くないと思っているので、日頃から気をつけるようにしているのだ。

誰に対しても元気に明るく、笑顔で対応しようと自分に言い聞かせている。
そうするべきだ、と思っているのかもしれない。


人に対して感情的に接したり、あからさまに「嫌い」を表現することはしてはいけないことだと。

でも、そういう自分が、「誰にでもいい顔する自分」を作っていることもまた事実なのではないか?



私は子供のころからお調子者で、常にヘラヘラ笑っては、自分の中にあるネガティブなものを隠そうと必死になってきた。
昨夜の夢は、そういう自分自身を投影したものだったのかもしれないと思うと、一気に気分が下がるのを感じた。


「選ぶ」ということは、「選ばれない」ものが発生するということだ。
昨夜の夢の中で、おしゃれなカフェを選べば、隣の蕎麦屋は選ばれなかったということになる。
私はそれが嫌だったのかもしれないな。



みんなにいい顔しようとまでは思わなくても、ひとりも傷つかないようにとか、みんなが丸く収まるようにとかを考えてしまうと、何も選べなくて当然だろう。
「迷って決められない」ことの背景には「選択肢が多い」ことがあるけれど、「自由」とは「選択肢が多い」ことなのだから、常に自由を求める私には「選択する」という作業が絶対について回る。

そう考えたら、「あ~、嫌だなぁ」と思わず声に出てしまった。



世の中には、物事に対しての好き嫌いが少ない人や、感情の起伏が少ない人はいる。
私にとって、そういう人がどれだけ羨ましいか。
いっそ、好き嫌いのセンサーも、感情のセンサーも、消滅してしまえばいいとさえ思う。

それは、それらがあるせいで、私は人とうまく関われないと思っているから。

しかし、好き嫌いが激しく、感情の振り幅も大きいのだから、それはそういうものとして関わっていくしかないのだろうな。
ありのままの天然な自分でいいとは思っていないが…
矯正しきれない個性は諦めるしかないと思っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。