「可愛い子には旅をさせない主義の親」と「見捨てられ不安が強い子供」

人間が一番最初にコミュニケーションするのは、一般的には親である。

その親との間で作られたコミュニケーションの形は、いいにしろ悪いにしろ、オトナになってからも使ってしまう、その人のコミュニケーションのベースなのだ。

なので、オトナになった今の自分が、他人と関わる時に、無理やガマン、犠牲を感じることがあるなら、この「コミュニケーションスタイル」を見直すことが必要だろう。




「可愛い子には旅をさせない主義の親」に育てられた子供は、何かしら自分の中の欲求を手放す必要があったのではないか?と思う。
「外に遊びに行きたい」と考えても、「可愛い子には旅をさせない主義の親」は、それを阻止するだろうから。



我が家の親たちにとって私は「可愛い子」ではなかったようだが(笑)、「旅をさせない主義の親」であった。
それは、常に自分たちの監視下に置いて、自分たちに恥をかかせないよう見張っている必要があったからだ。


ところが私は、そんな窮屈な押し付けに反抗した。
最初は親の目を盗んで悪さをしていたが、成人すると堂々と遊び歩くようになり親の期待を裏切り続けていた。




しかし、「可愛い子には旅をさせない主義の親」と、「見捨てられ不安を持つ子供」がセットになってしまったらどうだろう?

残念ながらそこは、「共依存」な関係になる。
子供が可愛いから手元に置きたい親と、見捨てられたくないから親の言いなりになる子供と。
お互いのメリットが一致するわけよ。



子供は、親の言いなりになることで「見捨てられ不安」から解放される。

親の言いなりとは、親の期待に応えることだ。
だから、子供はいつもどんな時も、親の期待に応えることに必死になるだろう。


そして、そういう親とのコミュニケーションがその子のコミュニケーションスタイルとなって、オトナになってもずっと続けられるのだ。



相手が、親じゃなくなるだけ。
相手が、友達でもパートナーでも職場の人たちでも親戚のおじさんでも近所のおばさんでも、誰になっても、コミュニケーションスタイルが同じなのである。


コミュニケーションの目的は変わっているのに、コミュニケーションのスタイルは変わらない。

親戚のおじさんや近所のおばさんに対して「見捨てられ不安」なんてないのに、「期待に応える」ことがコミュニケーションスタイルだから、「期待に応えるための行動」をしてしまう。




親に逆らわず親の言いなりにしてきた子供は、オトナになっても、相手に逆らわずに相手の言いなりになる。
それが「習慣」になってしまっているし、それ以外のコミュニケーションスタイルを持っていないのだもの。



でも、そこに、「辛い」とか「苦しい」とか、いわゆる「無理」「ガマン」「犠牲」があるなら、そのコミュニケーションスタイルは直ちに変えるべきよ。
それは、そのコミュニケーションスタイルが正しくないという証拠。

何より相手はもう、「可愛い子には旅をさせない主義の親」じゃないのだから。




あなたは、あなたが幸せになるためのコミュニケーションスタイルで生きていけばいい。
「見捨てられ不安」から解放されるためのコミュニケーションスタイルではなく、「愛で満たされる」ためのコミュニケーションスタイルを選ぶことが必要だ。

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