「自信」とは、「自分」を「信じる」と書くのだけれど…

私事だけど、先日の話。

派遣で行っていた職場で、昼休憩から戻った時、数ヶ月先輩の派遣社員Kさんから言われた。
「浩子さん、パソコン、〇〇さんのIDで入っていたので、気をつけてください!」って。

つまり、パソコンに入る時に他人のIDで入っていたと、ちょっと嫌味な感じで指摘を受けたのだ。

その派遣社員のKさんは、私が入った時から私に対して当たりが強く、まぁ、気に入られていないことは分かるのだけど。
みんながいる前で恥をかかされたような結果になった私は、ちょっと悔しかった。

その日の朝は、その職場の全員に新しく設定させたIDが配られていた。
職場の場所が引っ越しになり、同時にパソコンも席位置も新しくなったことで、派遣スタッフたちのIDとパスワードも新しくなったというわけだ。

なので私は、隣の席の社員の女性に確認してもらいながら自分のIDでパソコンに入ったので、Kさんが言った「他人のIDを使っていた」とは思えなかった。

そこで、そおっと、午前中に自分が入力したデータをこっそり確認したのだ。
するとやっぱり、ちゃんと自分の名前が表示されているではないか。

Kさんは日頃から私を目の敵にしているような対応をしていたから、もしかして誰か他の人のミスを私のしたことだと思われたか。
もしくは、悪意のまま、私に冤罪をかけているのかもしれないって。

でも私は、Kさんに「私はちゃんと自分のIDで入りました」とは言えなかった。
「私は絶対に間違えていない」と反論できるだけの自信がなかったからだ。

もちろん、目をつけられているし、反論したらさらに倍返しされるなんてことも嫌だったし、正直言って「関わりたくない」のが本音だった。

いくら私でも、「知りもしない他人のID」でパソコンに入るのは不可能である。
が、「他人のIDでパソコンに入った」と、みんなの前で指摘されて恥をかかされたまま、私は傷ついて終わった。



さらにもう一つ。

先日、伯母から、ジャムに加工するための梅をもらった。
とある事情があり、伯母がジャムを作れなくなってしまったため、レンジでチンされた状態の梅を引き継いだのだ。
そこで私も重量を測るなどのことをせず、伯母に言われるままに梅を煮た。

確か、「砂糖は500g」だと言われたと思った。
しかし出来上がった梅ジャムをヨーグルトにかけて食べてみると、ものすごく酸っぱい。

でもまぁ、梅のジャムだし、そもそも私は酸っぱいものが苦手なので、こんなものかと思っていた。
が、翌日に伯母にこのことを話すと、「砂糖500gじゃ足りないわよ!700gって言ったじゃないっ!?」と言われたのだ。

…え?
500gって言ったよね?
700なんて数字、聞いたことないけど?

でも伯母は「砂糖は700gだと言った」と繰り返すので、私は一言も言い返さなかった。
しょせん手作りのジャムだもの、砂糖200gの違いなど大した問題ではない。
けど…

そこでも私はやはり、自分の記憶に自信が持てなかったのだ。
伯母に「いや、700gなんて聞いてないよ。500gって言われたよ」とは言えなかった…



「自信」とは、「自分」を「信じる」と書く。

まさにこれらは、私が自分を信じられなかった話。
こうして「私は間違っていない」と言えない自分が、最近なんと多いことか。

年を取り、自分の記憶力にどんどん自信がなくなる。
能力もどんどん落ちてきて、同じ仕事をしても若い人にはかなわないと、どんどん自信を失くす。

あの時職場で、Kさんに対して、「私は間違っていません。ちゃんと確認してください」と、言いがかりをつけるなというような反論ができたら、どんなにスッキリしただろう。
伯母に対しても、「砂糖は500gって言ったよ」と言えたら、自分を責めずに済んだだろうか。


「自信がない」ということは、自分を惨めにさせる。
自分はダメ人間だと自分にレッテルを貼り、さらに自信をなくすことに繋がる。

だから、「自信を持つ」ということは大切なこと、必要なことなのだな、と、改めて感じた。

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