ありのままの自分、「ブラック浩子」を出しても嫌われないと分かった話

「ありのままの自分を表現する」ということは、私のように自己評価が低くて他人からの評価を気にする人間には、かなりハードルが高いのではないか?
自分自身の生き方だけでなく、活動コンセプトにも「自由に。自分らしく」と掲げているくせに、現実の私はそれができずにいたので。


そんな私が「ん?素の自分を出しても、意外に大丈夫だぞ」と実感できた話を書きたい。



昨年の春、私は派遣で、とあるコールセンターに入った。
その時にそこの女性社員に、ビジネスライクではない庶民的な言葉使いを批判され、2週間で辞めたのだった。
「敬語を使え。ちゃんとした言葉使いをしろ」
確かにそうなのだけど、私は、電話をかけてくる地域のお年寄りたちに対して、そこそこ方言を使って親しみやすい会話をしたかったのだ。

でもそれが許されず、周囲から目をつけられて常に聞き耳を立てられている状況に、耐えられなかった。
また、同じ派遣社員たちから低レベルのイジメを受けていたことも、辞めた原因のひとつで。




このことがあってから、私は、しばらく就活ができなかった。
心が傷ついたというか、私という人間を全否定された感覚が残り、対人恐怖症が酷くなったようだった。

しかし、いよいよ生活が困窮し、去年の冬、短期アルバイトに出たのだが。
運良くその後、とあるコールセンターに派遣で行くことになって、この職場での様々な体験が、私の対人恐怖症を癒してくれる結果になった。


そこは女性が20名ほどいる、コールセンターだった。
事務局長として統括していたのは社員の男性で、数名の女性社員がサポートに入る他は、全員、派遣社員。

そこでたまたま隣同士になった女性と仲良くなり、ランチを一緒に食べたり、駐車場との往復を一緒に歩いたりしながら、お互いのプライベートも話すようになった。



このコールセンターには、前のコールセンターの時のように、言葉使いを批判したり、聞き耳を立てて後で意地悪く指摘してくるような人がいなかったのだ。
失敗を執拗に咎められることもない。

一緒に働いていた派遣社員たちの年齢が、全体的に高かったこともあるだろう。
前のコールセンターのように皮肉や嫌味を言い合うこともなく、まずまずの居心地の良さを感じていた。



さらには、事務局長が積極的に派遣社員たちのフォローをし、年配男性にありがちな偉そうに上から指示を出すようなことがなかったこと。

私は数か所でのコールセンター業務経験があるが、電話の相手が怒って怒鳴ったりしても誰も助けてくれないのが普通だった。
その場でのクレーム処理はすべて自分自身で引き受けなければならず、コールセンターはメンタルを疲弊させる。


しかしある時、クレーマーのような男性にうまく対応できずに困っていたところ、事務局長が私に代わって電話対応してくれたのだ。

こんなことは、生まれて初めてだったかもしれないと思う。
いつだって、会社だって家だって、「誰も助けてくれない」状況で、たった1人で戦わなければならなかったのに。
あんな厄介な相手との電話を代わってくれるなんて。

この時私は、「嬉しい」という気持ちよりも「驚いた」の方が強かったように思う。
自分が庇ってもらえるなんて、信じられない気持ちだった。



また、仕事の合間やランチの時など、他の派遣社員たちとも話をする機会があったことで、「もしかして私は、嫌われていないのかもしれない」と思うようにもなって。
「みんなが私に優しくしてくれる」という状況を、おっかなびっくりだったが、徐々に受け入れていけたのだと思っている。



愛着障害を抱える私は、人間関係構築において、強い恐怖心がある。

人の顔色をうかがい、機嫌を損ねないよう、相手の期待に応えて自分の身を守ろうとする。


「素の自分を出すと嫌われる」のが根っこにあるせいで、常に相手にとって都合のいい人間を演じる傾向があるのだ。
だから、本当の自分を出せずに生きてきた。

しかし、このコールセンターでは、「ブラック浩子」を出しても、それを批判されることはなかった。






「虐待」を経験した犬や猫をペットとして受け入れる時には、飼い主の愛情と、時間が必要だ。
「虐待」の記憶が残り、人間は自分に害を与えるものだと信じてしまっているから。

人間も同じで、親から「虐待」を受けた子供は、オトナになってから人間関係の構築が困難になる。


私は母親から「厄病神」「アンタは人に好かれないよ」という言葉を繰り返し言われたことで、これが「呪い」となって自分を縛ってきたのだと思う。
このような言葉を我が子に吐くことも、立派な「虐待」ではないだろうか?

すでに母親はこの世にいないが、改めて今、母親に言いたい。
アンタにとっては厄病神で、アンタには好かれてなかっただろうけど、私は「厄病神という存在」ではないし、「誰からも好かれない人」でもないんだ、と。



私は今後しばらく、このコールセンターで働く。
素の自分、ありのままの自分、「ブラック浩子」でも、ちゃんと居場所はあるのだと教えてくれた人たちと出会えたことが、「失うだけ」だと思っていたここ最近の「得たもの」である。

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