それは「境界線」の問題。相手との正しい距離や接し方は

「良かれと思って」と、してあげたのに、自分が相手に対してした苦労が報われなかったことってないか?

感謝されるどころか、気づいてもらえなかったり、ナチュラルにスルーされたり、「当たり前」なんて顔されたりして、傷ついたことはないか?


「良かれと思って」だけではない。
例えば仕事、例えば家庭で、自分が担っている「役割」に責任を感じる人ほど、献身的に尽くしては消耗してしまう傾向だ。



私については、どの占いを見ても「社交的で人付き合いが上手い」などと書かれている。
しかし実際の私は、人と関わることが嫌で、できるだけ人と関わらないようにと願っている、引きこもりなおばさんよ。


人見知りはしないし、お愛想はいい。
でも、それは単なる社交辞令的な関わりで済む人たちに対してならできることで、一歩踏み出す時には躊躇する。


…いや、躊躇しないんだな。間違えた。
躊躇しないで飛び込むから、傷つくのだ。


本来、無鉄砲なのだ。
以前友達に「浩子さんは性善説派でしょ?」と言われたことがあるくらいで、最初は相手のネガティブな面を見ることができない。


さらに「役に立ちたい」と共に「嫌われたくない」があり、相手のネガティブな側面や自分に対しての悪意に気づいた時には、逃げられない状態になっていることが多くて。



うつ病になったことで自分探しをスタートした時、何冊かの本に出逢った。
そのうちの1冊が「バウンダリーズ 境界線」という本だけれど、これを読み、それまでは分からなかった「人間関係が上手くいかない理由」を知ることができた。


人間と人間の間には、目には見えない「境界線」がある。
人間関係のトラブルは、その「境界線」が正しく引けていないことにあるのだという考え方。


「良かれと思って」の結果が思うようなものではないのは、本来は「境界線」の向こう側… 相手の敷地内のことに手を出した「おせっかい」ではなかったか?
職場や家庭内で無理したりガマンしたりで犠牲になってしまうのは、やはり同じように「境界線」の向こう側に手を出そうとするからではないか?



以前仲良しだった友達に言われたことがある。
「相手が手を伸ばしてきたら助けてあげればいいよ」って。
また、別の友達はよく「頼んでもいないのに」って、おせっかいされることに反発していたっけ。



人間関係での「距離」って本当に難しいと思う。
それは常に一定のものでもないし。


相手にどこまで求めるか?
相手にどこまで与えるか?


どんなに愛している相手でも「境界線」の向こう側に手を出すことはよくないし、逆に、どんなに嫌いな相手でも「境界線」の問題からは逃げてはいけない。



要は、「自分にどこまで責任があるか?」を考えればいいことよ。
手を出し過ぎるのも、出さな過ぎるのも、「無責任」だ。


私も、次に「良かれと思った」ら、ちょっと立ち止まって考えることにしたいと思う。