それは相手の「シャドウ」だから、こちらが傷つく必要はない

昨日私は仕事を依頼するために、とある専門家と打ち合わせをしていた。

ところが、その人はなぜか、今の私の仕事の仕方、営業の仕方にケチをつけるような発言を繰り返し、私は軽く傷ついたのだ。

会話をしながら、その人の怒りが伝わってくる。

それは明らかに、「私」に対してのもの。

でも私は分かっていた。

その人の怒りが「シャドウ」のせいだと。

「シャドウ」は、心理学では「自分自身の中にある、否定したい悪」である。

そして同時に、「そうしたいけどできない、もう一つの自分」でもあるのだ。

その人は、その分野における専門家としてプロ活動をしてきたが、聞くと、ガマンと努力を繰り返してきた人らしい。

引き受けた仕事が嫌でも苦手でも「金のためだ」とガマンをして、結果を出すための努力をしてきた。

その結果、仕事を評価されて、活動領域が拡がっていった。

その人は自分のことを「運が良かった」と言ったが、私は、その人の辛抱強さが周囲に認められてご縁を繋いでいったと思っている。

「金のためなら何でもやる」とも言ったその人にとって、今の私は、夢と理想論を振りかざし、全然現実的じゃない、ガマンも努力もしない甘ちゃんオバサンだとでも映ったのだろうな。

その人もホントは、私のように、自分都合で仕事を選び、ガマンができないと職場を辞め、失業給付金で楽に生きていきたいのだ。

しかし、家庭がある、金がないのは許されない、専門家としてプロとして、依頼された仕事は断れない、途中で投げ出せない。

きっと、何事もすぐに諦めて投げ出してしまう私には想像もできないような、ガマンと努力を続けてきたのだろう。

だから、目の前でヘラヘラしている私に怒りが湧いたのではないか?

「シャドウ」は、誰にでも存在する。

「好きじゃない」「許せない」と思う相手に出逢った時、そういう相手をうらやましいが故に憎らしいと思う自分がいるかどうかを、自分と向き合って探してみるといい。

自分が欲しくてたまらないのに持っていないものを持っている相手、したいと思うのにできないことをしている相手、そういう相手を批判して攻撃してしまう。

それが「シャドウ」で、自分は「シャドウ」を攻撃してしまっているだけのこと。

難しく言うと、「シャドウ」は相手に投影されるから、それが自分の中にあるものだとは気づきにくい。

自分で自分の「シャドウ」に怒りをぶつけて攻撃していることに、気づけないのだ。

しかし、「シャドウ」の存在に気づけば、他人を攻撃することや他人から攻撃されて傷つくことも少なくなる。

「相手は悪意で自分を攻撃してきたのではないのだ」「悪いのは自分ではない」と思うことができたら、こちらの怒りも悲しみも激減するというもの。

私も昨夜はさすがに寝付けなかったが、改めて今朝、「あれは、あの人のシャドウだった」と納得できたから、昨日を引きずることもなく今日を生きられる。

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