とある占い師の霊視。許せないのは自分の中の「怒りの感情」?「怒りの表現」?

いつも行く占い館で、何回かリピートしている占い師がいる。
その人は占術をしないで霊視でセッションをするのだけど、若いのになかなかいい話を聞かせてもらえることもあり、私の好みなのだ。

先週久しぶりに、その占い師を予約した。
気持ちがかなり落ちていて、何かにすがりたい気分だった。



私の最近の話を一通り聞いてから、彼女は霊視に入った。
そして、「罪悪感」という言葉を出した。

私はそれで、すべてが納得できた気になったのだ。

…そう。
私を構成しているのは、「罪悪感」なんだ…、と。



占い師は、ここ最近私が抱えていた「罪悪感」について、ひとつひとつ確認するかのように質問してくる。
「それは、浩子さんが悪いのでしょうか?」
「それは、浩子さんが罪を犯したのでしょうか?」



私がこの占い師を好むのは、こういうやり取りが心理カウンセリングだから。
そして、この占い師は、一見スピリチュアルでありながら、実は割とロジカルなことを言う。
そこが好き。

こういう話って、誰とでもできるわけじゃない。
というのが、私の中の、彼女の必要性。


話をするうちに見えてきたのは、私自身が「怒りの感情」を酷く嫌っているということだった。

「浩子さんは、平和主義なんですね」

…そういうことよ。
彼女の霊視は、とてもよく当たる。

なので私は、自分の潜在意識とごく自然に対話できるというわけだ。


彼女が言うように、私は平和主義なのだと思う。
だから、できるだけ穏やかに、できるだけ波風立てないよう、自分が台風の目にならないように、生きていきたい。

「怒り」の感情は私にとって「平和を乱す」最大のものであり、その凶悪なものを私は、自分の中から追い出したくてたまらないのだ。
自分の「怒り」の感情が、自分に不幸を招くのだと信じて疑わなかった。


ところが目の前の占い師は、その「怒り」の感情を「許せ」と言うじゃないか。

なので私は言った。
「怒りという感情」については、許している。その感情はあって当然のものだから。問題は、その「怒り」の表現方法だと思う。私は、その表現方法が間違えていると思っている、と。

すると占い師は、「その表現方法も含めて、許すってことです」って。


そこら辺が理解できなかった私は、彼女と何回か言葉でやり取りした。
しかし彼女は、感情も表現も一括りにし、「怒り」と言っている。

そして、「許せ」と。


うーーーん。
まぁ、そういうことなんだけどさぁ~。
でも、私の「怒り」は破壊力満載だから、相手のも自分のも焼け野原にしちゃうのよ。
それがマズいってことなんだけど。


その日、私が抱えて行った問題は、彼女が霊視した通り、「罪悪感」と「怒り」が絶妙に絡んだものだった。
そして、「許す」とか「許せない」とかの話もして、最終的に出てきた話は… 母親に対する「怒り」だったのだ。

結局私は、自分の母親のことが許せない。
母親に対しての怒りは、母親が死んだところで終わるわけもなく、いまだに根深く私を支配している。

すると占い師は言った。
「お母さんに対して怒ってていいんですよ。許してあげなくていいんですよ。一生怒ってて、一生許さなくてもいいんです」って。



…そっか。
そういうことだったか。
私は、母親に対する怒りの感情に対して罪悪感があり、許せない自分にも罪悪感を持っていたのだ。


母親が認知症になり、それは病気がさせていることだと頭では分かっているものの、どうしても母親には優しくできなかった。
怒りと憎しみでどうにもならず、アンガーマネジメントのセミナーへ何度も通ったりもした。
しかし、自分がされてきたことが忘れられず、あんなに苦しめられてきたのに、病気だからと、家族だからと、長女だからと、母親の在宅介護をしなければならない状態に日々苛立っていて…

そういう毎日のことも、ずっと怒ってていいんだ、ずっと許さなくてもいいんだ。

と、私はこの日、「平和主義な自分」を辞めることにした。




私たちが占いに行くのは、「安心」や自分なりの「解決」を求めるからだろう。

「あなたはこーですね、あーですね」と言われて「当たってるぅぅ!」と喜んで終わるのも悪くはないが、私はこうして、「自分と向き合う場所」として占いを求める。
だから、占いとしての占術も大事だけれど、占い師との会話も大事。

私にとってこの占い師は、肩書きとしては占い師なのかもしれないが、やってることは立派な心理カウンセリングだと思っている。

今回も「気づき」をありがとう。
感謝。

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