ほんとはネガティブな、ポジティブを装ったポジティブぶりっ子

いつもポジティブで常に明るく元気な人の中には、ネガティブを隠してポジティブな自分を演じている人がいる。

怖いのは、ネガティブに偏ることで傷つくことを恐れるあまり、自分の中の「ネガティブに反応するセンサー」を封印してしまうことだ。
つまり、そういう人は「ネガティブな感情を感じない」かのように、自動で、ネガティブな感情を回避するのである。



一般的な人は、怒りや悲しみや、妬みや憎しみなど、ネガティブな感情を直接感じるのが普通。


その結果、イライラしたりモヤモヤしたりクヨクヨしたり、と、それらの感情の影響を受け取るわけよ。

でも、そういう自分によって傷ついてしまう人の中には、ネガティブな感情に振り回されたくないとして、無意識で、自動的に、ネガティブな感情を「なかったもの」として処理をする人がいる。


ネガティブな感情を生むような状況さえ、「なかったもの」として扱う時すらあるのだ。




人間は誰もみんな、自分が傷つかないように自分を守る。
それを心理学では「防衛機制」と呼び、その中で方法もいくつかあって、自分が得意なやつを使っているはず。



それらは子供のころに身に着けることが多くて、まぁ、子供なりに自分の身を守る精一杯の努力をしたってことだよね。
でなきゃ、生きていけないもんね。




ある人は、「自称ポジティブ」である。
怒りや憎しみ、妬みの感情など、ネガティブ系の中でも攻撃性を持つ感情を持つことがないという。

誰からも好印象を持たれる人で、控えめで優しく、とてもキュートだ。



この人が言うには「ネガティブな感情を持っている自分が嫌だから、そういう自分にならないよう努力している」とのこと。
その努力とは、ネガティブな感情を抱かせる結果となる事実から目を背け、別のことに意識を向けることだった。


その事実はあった。
しかし自分は傷ついてはいない。



その人は、事実によって感情を感じる前に、「どういう自分でいるべきか?」といった「理想像」によって自分自身を決定する。
自分で自分をコントロールし、常に「こうあるべき」という「理想の自分」で動く。



その人は、どんな苦しい場面でも笑顔でいる自分でいたいのか?
ネガティブな感情に振り回されることのないクールでドライな自分を、カッコいいと思っているのか?




私は思うのだ。
こうして、自分が傷つくことを恐れて真実を捻じ曲げて生きてきた人ほど、弱くて、カッコ悪くて、信頼するに足りない人間だと。



感情とは「喜怒哀楽」だ。
そこには、ポジティブもネガティブも両方入っている。
どちらかが良くてどちらかが悪いという評価はなく、感情は感情でしかない。


確かに、ネガティブな感情を感じている時は、気持ちよくはない。
しかし、そういう自分を嫌う必要などないと思うのだ。



その人は、「ネガティブな感情を持っている自分が嫌い」なのではなく、「ネガティブな感情に支配されることが怖い」のではないか?
子供のころに、「ネガティブな感情を持っている自分」を両親にひどく批判されたのかもしれないし。
何らかの原因があって、「ネガティブな感情を持っている自分」を避けるようになったのだろうな。




私は、「根っこのないポジティブぶりっ子」が嫌いだ。
ネガティブな感情を味わった上で「前を向こう!」とするポジティブこそ、本当のポジティブだと思っている。


腹が立ったら怒ればいいし、悲しかったら泣けばいい。
人間として「感情」がしっかりとベースにある人は、人間として厚みを感じる。



しかし、「喜怒哀楽」の半分しかベースにない人は、厚みも半分よ。
そんなつまんない人とは、お友達にはなれないわ。




自分をコントロールすることが必要になるのは、「感情表現」の部分であり、感情そのものを感じるところではない。

怒りや苛立ちをそのまま周囲にぶつけるのは問題でも、怒りや苛立ちを感じることは何の問題もないはず。
悲しくてみんなの前でめそめそ泣いてしまうのに問題がある時はあっても、悲しい自分を責める人などいない。



ネガティブな感情を感じきったら、顔を上げて前を向けばいい。
自分を騙してポジティブぶりっ子するより、その方が自然だし、カッコいいと思うよ。

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