「楽しい」という感情は、体感する出来事で感じることがしやすい。
では、「嬉しい」という感情はどうだろうか?
あなたが最近「嬉しい」という感情を味わったのは、いつ、どんな時だっただろうか?
「嬉しい」は「楽しい」同様に、「喜び」の感情の中のひとつである。
そして、「嬉しい」を感じる時は、
- 達成感と共に
- ラッキーなことが起こった時
- ハッピーなことが起こった時
- 賞賛されたり誉めてもらえた時
- 労ってもらった時
などだと思う。
しかし、この「嬉しい」は、自己評価が低いと手に入れられないものでもあるのだ。
例えば、
テストで95点取った。
そこで「やった!95点も取った!」と嬉しく感じる人もいれば、「え?95点しか取れない」とガッカリする人もいる。
これは、子供のころに親からちょっとしたことでも誉めてもらえた人と、なかなか誉めてもらえなかった人とで差がつくと思う。
テストで取った95点に対し、親が「すごいね!頑張ったね!」と言ってくれたら、その子にとって95点は「すごいレベル」になる。
でも、同じ95点を「どうして100点じゃないの!?ダメじゃない!」と言われた子にとっては、同じ95点なのに「ダメなレベル」になる。
親から誉められずに育った子供は、卑屈になりやすくないか?
素直に伸び伸び育つとは考えにくい。
自己評価が低い人は、だいたい自分に自信がない傾向だ。
なので、もし何かで他人から誉められても猜疑心が先に出る。
まさにこれを、私は今朝、体験してしまった。
他人からの評価を、その言葉のままに素直に受け取れない。
単なる言葉の羅列としか思えず、心が全く動かなかった。
「他人事」というのはこういうことなんだ、と、改めて分かった気がした…
「幸せ」とは、「喜び」の感情を伴うだろう。
だから、「嬉しい」という「喜び」は、「幸せ」なのだ。
しかし、他人からの良い評価や好意を受け取れなければ、そこに「嬉しい」という「喜び」などないのだから、「幸せ」もない。
他人からの良い評価や好意は確かに「存在」しているのに、本人が感じることができなければ、それは「存在しない」になる。
だもの、「幸せ」はないのだ。
他人からの良い評価や好意を受け取り「嬉しい」を感じるためには、自己評価を正しい位置まで上げることが必要になる。
そして、他人からの良い評価や好意に対して素直に「ありがとう」と言える自分になれば、「幸せ」はそこらじゅうにあるのかもしれないと思う。