売っているのは「心の問題解決」。同情や慰めは売っていない

昨日、「心理カウンセラーっぽい人」を演じるのをやめた。
ホームページを手直しして、日和見的だった表現を削除した。


「どんな人でも受け入れます」は、私には無理だ。
そんな包容力は私にはない。



世間の人は、「心理カウンセラー」をどう思っているのだろう?
どういうイメージで見ているのだろう?


その職業に従事していることで、勝手にその人間像を作っていないか?


じゃあ、学校の先生を見てよ。
「教職者」と言われる人たちの実態はどうよ?
医者を見てよ。
診察の時にこちらの目も見ない人、いっぱいいるわ。



「イメージ」って怖い。
「そういうもの」という固定観念で見始めると、「そうじゃない」という部分に嫌悪感を持つようになりやすい。


メンタルケアの仕事をスタートした当時は、よくブログのコメントでバッシングされた。

その時の私は、こう思っていた。
「自分のことを自分の目線で自分の考えで書いているのに、どうして批判されるの?」って。


都内に出かけた際に入ったレストランで店員の態度が悪かったと書いたら、「じゃあ、お前はどうなんだ?」とか「他人の批判するような奴が心理カウンセラーか?」とか。
傷ついたことがあって落ち込んでいることを書いたら、「自分のメンタルケアもできない奴が心理カウンセラーなんておかしい」とか。


いやいや、心理カウンセラーも人間だからね。
機械みたいにスイッチ一つで切り替えできるような仕組みじゃないのよ。



だいたい人間て2つのタイプに分かれるでしょ。
癒し系で優しくて温和な人って、ちょっと臆病だったり目立つことを嫌ったりして、明言を避けたりする。
でも、会社でガンガン発言するような人は、ガサツで無遠慮なところがあっても、行動的で仕事もできる人が多い。


結局、「両方がバランス良い」なんて人、いないんだ。
「なにもかも完璧」なんて言われてる人って、絶対どこかに欠陥があるって目で見ちゃう。


心が病んでいなくても体が病んでいたり、勉強できても性格悪かったり、お金があっても孤独だったり。
SNSでフォロワーたくさんいて派手に「いいね!」もらっているような人でも、中身はどうだか分からないのだ。


私もInstagramに愛猫の写真を投稿する時には、築55年の汚い部屋が見えないように撮影してるし(笑)


だから「イメージ」とか「見た目」で判断するって、愚かだとは思う。
けど私は今まで、その「イメージ」「見た目」に振り回されていた。



しょせん、「相性」の問題だと思うのだ。
癒し系で優しくて「うんうん」って話を聞いてくれて、「そうなんですね~。それは大変でしたね~」って慰めてもらえることを望むか、「ここがこうダメだから、ここをこう直したらよくなるんじゃないかな!?頑張ってよ!」ってハッキリ言ってもらって背中を押されることを望むか。


私は「(心の)問題解決」を売っているのだ。
同情や慰めを売っているのではない。


また、クライアントの大切なお金をもらうのだから、仕事としてプロとして、責任を持って対応すべきだと思っている。
つまり、「結果を出す」ことが大切だってこと。


そこに「心理カウンセラーっぽい」かどうか?は、必要ないでしょ?
「心理カウンセラーっぽい」かどうかで仕事するんじゃないのだし。



クライアントは、「本気の人」だけでいい。
自分と向き合う覚悟もないのに、自分の問題を他人のせいにしたり、他人を何とかしようとしたり、そういう人はいらない。


心の問題解決・デトックスのためには、愚痴や不満を吐き出す場所が必要だ。
なので私は、そこは積極的に引き受ける。
喜んで愚痴大会に参加する。


でも Heart-Labは、同情や慰めは売っていない。
売っているのは「(心の)問題解決」だもの。



本当に繋がりたい人と繋がるためには、「こういう人と繋がりたいです」「こういう人とは繋がりたくないです」と意思表示しなければ。
「心理カウンセラーっぽい」に振り回されて、私は、「NO」を言うことを恐れていたことを恥じる。


いったい、誰のための、何のための、心理カウンセリングなのだ?
自分軸に戻せ、私。