失業給付金は「働かないダメ人間」がもらうものか?それとも「当然の権利」か?

私事だが。

長期雇用のはずだった派遣の契約更新がされずに失業状態に陥り、やっと雇用されたパートの仕事も契約更新ならずして3ヶ月で終了。

その結果、8月末から失業給付金をいただいて生活している。
今回は180日受給だけれども、とりあえず生きていける程度の金額しか手に入らないため、生活は苦しい。


人生で、この「失業給付金」なるものをもらうことは、今回が2度目。
最初は一昨年で、父親が亡くなる少し前から、90日分受給されていた。

その時のことを思い出す。
あの時は失業給付金をもらうことについて、罪悪感でいっぱいだった。

父親が亡くなった後、認知症の母親の施設転居もあり、葬式の後処理、相続云々と、忙しくてとても働ける状況ではなかったから、失業給付金をもらえることはありがたかったが。

「甘えている」と自分を責めていた。

成人してから当たり前に働き続けてきたが、それは我が家では「失業状態」など許されなかったことも理由の一つだろう。

「働かざる者食うべからず」が家訓のような我が家だったので、働かない日(給料がもらえない日)が1日でもあれば、親たちから激しく罵倒された。
高校生の時、校則で禁止されているアルバイトをしたいと相談したら、母親は簡単にOKしただけでなく、そのアルバイトが見つかって学校から処分を受けた時でさえ、母親は一切私を責めなかったくらいで。

しかし私は、一ヵ所に長く居られず、転職を繰り返してしまうことに。
その状態を良く思わない親たちからは常に責められてはいた。

親たちにとって悪いのは「仕事を辞めてきたこと」ではないらしく、失業状態でいることだったようで、「早く次の仕事を探せ」と急かさせていた。


そんな感じで生きてきたから、初めて失業給付金をもらった時に私が感じていたのは、ほぼ罪悪感だった。
その時、罪悪感でいっぱいだった私に「失業給付金をもらうのは権利だもの。私だってもらったよ」と言って励ましてくれたのは、妹だけだった。

その言葉がなかったら私は、父親を亡くした悲しみと目が回るような忙しさもあって、精神的に病んでしまっていただろうと思っている。


なので今回の失業給付金受給に関しては、コロナの影響で仕事(求人)が激減していることもあり、「当然の権利」と受け止めているのだ。
働きたくても、働くところがないのだもの。

親たちから「働かないのはダメな人間だ」と言われ続けてきて、それはまるで「働かない者には生きる権利がない」「働かない者は人間として価値がない」かのように、私の脳にインプットされていたらしい。

私がうつ病になったのも、派遣先を辞めたいのに辞められなかったからで。


怖かったのは、仕事を辞めて無収入になることではなく、「仕事をしていない状態」そのものだった。
無職、失業状態にあれば、親たちから責められる。
それ以上に、自分で自分を責める。


失業給付金は、「働く意欲があるのに就職先がない人」のためのもの。
そして、そもそもは働いていた時にかけられていた雇用保険によってもらえるものだ。

なので、国から無条件でもらえるものではない。


ストレスの有無、大小は、「その物事をどう受け止めるか?」と言った「認知」によって決まってくる。
失業給付金を「働かないダメ人間がもらうもの」と受け止めるか、それとも、「今まで働いてかけてきた雇用保険による当然の権利」と受け止めるか?
「働かない」と「働けない」では大きな違いがある。

我が家の親たちはこの辺をちゃんと分かっているから、厳しく言ってきたのかもしれない。
「五体満足で健康な若い娘が、仕事をしないで家にいるとは何事だ!」と。


しかし親たちは、リーマンショックや東日本大震災などによって、働く人が置かれている環境がどんどん変化していったことは、理解していなかっただろう。
現代、戦後の高度成長期を生きてきた親たちには分からない、雇用や働くことの難しさがあることも確かではないか、と私は思っている。

だから、今回もらっている失業給付金は、未来を生きる自分のために与えられた「当然の権利」だとして、決して自分を責めることなく、それこそ前向きに受け止めている。
今抱える生活困窮状態も、次に活かしてこそのもの、だと。

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