子供をコントロールしたい毒親が与える「条件付きの愛」は

「条件付きの愛」とは、親が子供をコントロールしたい時に使う手だ。
「〇〇だったら愛してあげる」という条件をつけて、そうでなければ愛さないと脅かしているようなものだと思う。

しかし残念ながら、多くの子供はこの手に引っ掛かり、知らない間に親にコントロールされていく。
これをするのが、俗に言う「毒親(毒になる親)」なのかもしれない。



私もそうだった。

私の母親は共稼ぎをしていて、普通にフルタイム勤務だった。
そんな母親だから、私は必然的に母親と接する時間が少なかった。
なので私は、仕事から帰宅して台所で夕食の支度をするに母親に、その日に学校で起きたことなどを話したくてまとわりつく。

でも、帰宅すると家事で忙しい上に騒がしい私を嫌っていた母親から言われていたのは、「喋るなら(台所から)出て行って」だった。

いつもだった。
何か話をしようとすると決まって、先に「うるさい。喋るならあっちへ行って」と言われていた。


すると私は、幼いながらに学んだのだろう。
「お母さんに嫌われたくないから、黙っていよう」って。

母親が求めていたのは、ただ黙って夕食の支度の手伝いをする「小さな女中」だったのだ。
だから私は、それを察して、自らその役を買って出ていた。


それこそ、「毒親のコントロール」にまんまとハマっていたわけだ。
母親が出した条件は、「黙っているならそばにいてもいい」というものだったから。



こうして「条件付きの愛」を与えられてコントロールされて成長された子供は、大人になって親の庇護下を出ても、その習慣が残ってしまっていることが多い。
他者とのコミュニケーションは、幼少期の親とのコミュニケーションの延長だから、自分でも自覚がないまま「親のコントロール」は続く。



私はずっと、「(相手に)嫌われないためには黙っていることだ」として生きてきた。
けれども、元々の性質がお喋りで基本的に口数が多いため、この「コントロール」が無効化されてしまう。

すると、何か別のことで相手とトラブルと「私が喋ったからいけないんだ」と思い、自分を責める。
「喋ったからいけないんだ」、なのだけれども、「喋る」ことが自分でもどうにもならないから、やがて私は「人と関わらない」ことを選ぶようになった。
関わらなければ喋らずに済む。
喋らなければ嫌われずに済む。

だから私はいつの間にか、「自分が好きで大切な人ほど関われない」といった状況に陥っていった。



「条件付きの愛」の反対は、「無償の愛」だ。
本来母親の愛というものは「無償の愛」だとばかり勝手に思っていたが。
私に与えられていたものは、母親が私をコントロールしたいがための「条件付きの愛」だったと知り、「やっぱり私は嫌われていたのだ」と改めてガッカリした。



親の方も、自分が与えているものが「条件付きの愛」だとは分からずにいるのだと思う。
もちろん、幼い子供の身を守るためには子供をコントロールする必要があるのは分かる。


しかし、「条件付きの愛」を与えられた子供は「無償の愛」の温かさを知らないし、私においては、何でもかんでも「何かと交換」みたいな、何かを差し出さないと自分の欲しいものが与えられないって、潜在意識にインプットされてしまっている。

欲しいものを手に入れるには、自分の個性を殺し、相手の言いなりになることだと。



「他人軸」とは、すでにここからスタートするのではないか?
母子関係が「母親のコントロール」を「軸」にしてあり続ける限り、子供は「自分の軸」で生きられなくなる。
自分たちの方が早く死んでいくことを理解できているなら、子供が自分の軸で生きられるよう、早く解放してやるべきだと思うのは私だけだろうか?


まぁ、単純に、母親からの「無償の愛」というものを経験してみたかったなと思う私である…

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