心に十字架を背負うな。罪悪感がもとでの罪滅ぼし?

とある人が言っていた話。
「前の家に置いてきてしまった犬に対して、今いる犬で罪滅ぼしをしているのかもしれない」って。


彼女は10年ほど前に、離婚を経験した。
その時に住んでいた家には犬が居たのだけど、自分が引っ越すアパートはペット禁止の賃貸だったため、やむなくその犬は元夫に託して別れることになったらしい。

その体験が、彼女の心に傷となって残っていたのだ。
彼女は、置いてきてしまった犬を想い、罪悪感を抱えていた。



その数年後、ペットが飼える環境に引っ越した彼女は、縁があってまた別の犬を飼うことになったのだけど…

今の生活で最もお金と手間をかけているのが、犬の食事や世話だと言う。
そしてそんな状態について、「私は、置いてきてしまった犬の罪滅ぼしだと思っているのかもしれない」と、寂しそうに言っていた。



私はその言葉を聞き、彼女は、今飼っている犬を「置いてきてしまった犬への罪滅ぼしのための対象」だと思うことが辛いのではないか?と思えた。
補償行為(足りないものを埋め合わせしようとする行為)として捉えていて、そんな自分を責めているのではないか?と。

しかし、彼女の言う「罪滅ぼし」が事実なら、彼女が前の家に犬を置いてきてしまったことは、「罪」なのだろうか?
今もなお背負い続けるような「罪」を犯したのだろうか?



私も、自分がしたことを悔いて、自分を責め、自らの心に十字架を背負わせていた時期があった。
だから、彼女の気持ちはよく分かる。

でも、過去には戻れないし、彼女にとっては、その時そうせざるを得なかった事情があるのだから。
仕方がなかったと手放していくことと、次に同じことをして傷つかないよう、学んでいくしかないのではないか?



誰だって、不本意な結果で傷つくことはあるのだ。
が、その度にいちいち自分を責め、十字架を背負わせてしまうなら、人生そのものが補償行為になってしまいかねない。

私たちは、経験で学ぶ。
この世は体験学習の場である。

だからといって、学んで得たものが「罪悪感」では、少々悲しすぎる気がする。


「罪滅ぼし」などというネガティブな考えではなく、今いる犬に彼女なりの愛情を注いでいるのだと、ごく普通に考えればいい。
「好き」「愛おしい」という気持ちがあるなら、何も問題はないのではないだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。