先週仕事のことで、とある専門家と会ったことは書いたが。
実はあれから、ずっと引きずっていて、自分が思いのほか傷ついていたことが分かった。
「そういう人だ」と分かった時点で納得したし、その人とはこれ以上関わらないことで解決に至ったつもりだった。
でも、2日経っても何となくモヤモヤしていて、昨日、改めて私は「心にトゲが刺さったままになっている」ことに気づいた。
あんまり気持ち悪いから、ちょっと自分と向き合ってみたのだけど。
そこで、私は気づいたのだ。
そうか、私は、「自分の味方になってくれる、自分に理解を示してくれる、自分に協力してくれる」と思っていた相手が「実はそうじゃなかった」という結果に、傷ついているのだろう。
それは、「まさか!」という言葉で表せる。
「自分の味方になってくれる、自分に理解を示してくれる、自分に協力してくれる」と「期待」していた…のではなく、そういう相手なのだと、勝手に「決めつけて」いたんだ。
こういうことがある度に私は、「相手を信じていた自分、期待していた自分」に嫌悪してしまう。
私はなんてバカなんだ。
もっとちゃんと警戒心を持って関われば良かったのに。
こうして私の人間不信は育っていったのかもしれない。
でもね~
全ての人に対して不信感と警戒心を持ったまま関わるって、どうなのよ?
それって、常に周りは敵だらけって感じで、安心安全がどこにもないって?
そんな状態で生きるって、無人島一人暮らしより大変じゃないの?
完璧なセキュリティシステム?なんて、無いのだと思う。
悪意で攻撃されたり、流れ弾に当たったり、世の中には危険がいっぱい。
結局私は、「じゃあ人は一切信じない、一切期待しない」って決めたところで、実際はできないのだ。
攻撃されたり流れ弾に当たったりして満身創痍になっても、「この人は自分の味方になってくれる、自分に理解を示してくれる、自分に協力してくれる」と人に近づくことは変えられないのだと思う。
だって、そういう人だっているのだから。
たまたま今回は、ね。
相手が悪かったの。
そうやって、「あーあ、大変だったよね、仕方なかったよね」と、自分を労ってやるしかないのではないか?
自分に起こるネガティブな出来事が、すべて自分が悪いというわけではないし、すべて相手が悪いわけではないと思うのだ。
「そういうこともあるさ」と手放していかないと、いつまで経っても「心に刺さったトゲ」は抜けないだろうから。