相手の「良かれと思って」には遠慮なく「NO」を言う

世の中には、「良かれと思って」というのを理由にしては、相手が頼んでいないことまでして、その見返りを欲しがる人がいる。

必要以上の「親切」をしては、「ありがとう」と言ってもらえるのを楽しみにする。
または、「自分にも同じようにして返してもらおう」と思っているのかもしれない。


「人間はメリットがないことはしない」と、いつか何かで読んだ記憶がある。
自己犠牲を伴う行為でも何らかのメリットがあるからするのだ、ということだ。


それは、自分の中にあるネガティブな意識を満足させるためではないか?



例えば「承認欲求」はどうだろう?

「認めてほしい」という欲求が、他者に親切にする理由かもしれない。


例えば「罪悪感」はどうだろう?

他者に親切にしない自分に対して持つ罪悪感が、理由かもしれない。


「世話好き」な人の全てが、こういう意識を持っているとは言わない。
他人の喜びを自分のものとして共有する人はたくさんいる。


その人たちと、「良かれと思って」の「ありがた迷惑」をしてくる人との違いは、「必要以上に」するかどうか?
相手の立場や状況を考えずに、自分の都合だけを押し付けてくるかどうか?だと思う。




私にも経験がある。

母方の叔母の家に行くと「食べろ食べろ」と料理を勧めてくるのだが、「お腹いっぱいで食べられない。もういらない」「それ、好きじゃないから」とまで言っているのに、「食べろ食べろ」と勧めるのをやめない。
いい加減に腹が立ってきて、「もう!しつこいなぁ!」と文句言ってしまう。


もっと前には、お友達に出そうかどうしようか?と迷って机の上に置いてあった友達宛の手紙を、母親が勝手にポストに投函してしまったことも。
私の許可なく勝手に手紙を出したことを咎めると、母親は「せっかく出してあげたのに!」と逆切れした。



私も心理カウンセリングを始めたばかりの頃は、お客さんに対して「詰め込み」が強かったと自覚している。
相談される悩みを何とか解決してもらいたくて、「必要以上に」アドバイスしていたと思う。


しかし、相手がそれを求めていなければ、「良かれと思って」したアドバイスも、単なる「おせっかい」「大きなお世話」なのだ。


私はだんだん「何事もちょっと足りないくらいでちょうどいい」と分かってきて、「お腹いっぱい」ではなく「腹八分目」でやめるようにしている。



もちろん、相手がしてくる「良かれと思って」の好意が、心から嬉しく思い、ありがたいと感謝できるものなら問題はない。


でも、「ちょっと重たいな」「ちょっと多いな」と感じるものがあるなら、そこは「NO」を言うべきよ。
だって「NO」を言ってあげないと、相手は分からないのだもの。



「良かれと思って」とグイグイ来る人は、先にこちらに「いる?いらない?」なんて訊いてこないでしょ?
相手の「いる?いらない?」なんて全く無視で、「自分がやりたいからやってる」のだ。


なので、こちらも「NO」を言うことを遠慮する必要などない。
「NO」を言ったことで相手が傷つくなら、それは相手の問題である。




相手が「良かれと思って」しようとどうしようと、それは相手の勝手でしたこと。
そこにどんな理由があっても、その期待に応える必要はない。


もらったものはこちらのものだし、与えたものは相手のものよ。


だから、「良かれと思って」相手に与える時にはちょっと考えればいいし、「良かれと思って」をもらった時には、必要以上に恩を感じて期待に応えようと無理しなくていいのだ。