私は厄病神じゃない!セルフイメージを変えて幸せを掴むために

セルフイメージとは、自分で自分をどう思っているか?
「自分について抱いているイメージ」「私はこういう人」という、自分へのキャラ認識だ。

明るい。元気。
物静かでおとなしい。
などの、ごく表面的な部分から、

ポジティブ。ネガティブ。怒りっぽい。
などの、内面的な部分まであるだろう。


私はここ最近、母親の一周忌法要のことでメンタルを消耗させていた。

今の自分の経済状態と、「そうすべき」とする一周忌法要の普通スタイルとのギャップで、かなり苦しんでいたのだ。
親戚の中に、無責任に「あーしろ、こーしろ」と意見してくる人がいて、それに振り回されてしまい、精神的にキツかった。



私のセルフイメージは、「変わり者」「悪者」「犠牲者」といったネガティブなものが多い。
それは、幼いころから母親に「厄病神」と罵られ続けたせいでもあって、母親の言葉がそのままセルフイメージになってしまったらしい。


私は厄病神だから、いつもトラブルメーカーとなっては周囲を振り回す悪者だ。

だからなのか、自分が犠牲になることで「厄病神」の罪悪感から逃れたいとする傾向もあり、自分から積極的に犠牲者になることを選んでいたのだと思う。

しかし今回、思わぬところから助けが入り、母親の一周忌法要の件はすんなり終結した。
つまり、私は犠牲者にならずに済んだわけで。


私の中にはいつも、「なぜ、私ばかりが損をする?」といった疑問というか、自問というか、が存在する。
同じことをしても、批判される私と批判されない他人がいて、いったいその差は何なんだ?と、常々思っていた。


その理由が昨日、はっきり分かった。
ようやく、気づけた。


それは、私が自分のことを「私はいつでもトラブルメーカーで、最後には悪者だ。厄病神だ」と思っているから、そういう現実がやってくる。
そして「ほら見ろ、やっぱり私はトラブルメーカーで、最後には悪者になった。厄病神だ」と確認する。



それはね。
それは私が、そういうセルフイメージを持って、自分をそう扱っているからよ。

「トラブルメーカー」「最後には悪者」「厄病神」「犠牲者」といった役柄を、自ら選んで率先して引き受けているから。



今回の件で私を助けてくれた人は私のことを、これらのどれとも言わなかったし、扱わなかった。
むしろ私を庇って、私の荷物を半分以上持ってくれたようなもの。


私の人生は、母親の「アンタのせいで!この、厄病神!」という、自分に起こるすべての悲劇を娘の私のせいにする「呪いの言葉」に支配されていたのかもしれない。
また、職場のストレスを、娘の私に殴る蹴るの暴力を振るうことで発散していた父親の存在も、「私は親にも殴られる虫けら以下の存在」だと認識させる原因でもあった。


しかし、現実はどうよ?
現実として私は本当に、「トラブルメーカー」「悪者」「厄病神」なのか?
「虫けら以下の存在」なのか?



私は思った。
私は、このセルフイメージを変えていかない限り、一生、幸せにはなれない、と。




「私はこういう人間だ」と自分に抱いているイメージを変えることは、容易ではないと思う。
長年染みついたセルフイメージは、思考と行動を習慣化させ、そのセルフイメージ通りの自分になるようなルートが「自動」で出来上がる仕組みになってしまっている。


だから、意識して抵抗していく必要がある。


それには、「私は本当にそういう人間なのか?」と、自問し続け、確認していくこと。
物事と向き合い、1回1回、丁寧に検証していくことだ。

もし私と同じように、自分のセルフイメージのせいで苦しい人生を送っているなら、ぜひ、私と一緒に、挑戦してほしい。

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