私たちは個々に、様々な、数多くのタブーを持っている。
そしてそれらのタブーのほとんどは、親たちが作ったものかもしれない。
タブーとは、「〇〇してはいけない」と「禁止」すること。
私たちはどれだけのタブーを自分に課しているだろう?
「人に迷惑を掛けてはいけない」
「約束は守らないといけない」
「友達とは仲良くしなければいけない」
「身なりはキチンとしないといけない」
などなど、大きいものから小さいものまで、タブーはほぼ誰もが持っているだろう。
親は子供に、良かれと思って言葉を掛ける。
良かれとも思わずに、何も考えず何気ない言葉を掛ける。
すると、それが子供にとってタブーとなり、自らを苦しめる種になる。
私たちが苦しいのは、そのタブーに縛られているからだ。
親の言いつけを守る「いい子」だった人ほど、タブーに縛られるのかもしれない。
タブーは時に「シャドウ」でもあるのだと思う。
シャドウとは、自分の中にある「認めたくない悪」であり、「抑圧している自分」だ。
ホントはそうしたいのに、タブーにしているから、そうできない。
体調が悪いから、ホントは仕事を休みたい。
でも、「人に迷惑をかけてはいけない」とするタブーを持っていることで、「自分が仕事を休むと同僚に迷惑がかかる」と思って仕事を休めない。
何かにストレスを感じたら、そこにタブーが無いか?考えてみるといい。
そして、そのタブーのルーツはどこにあるのか?も。
子供のころ、親が言った言葉ではないのか?
自分が勝手にそう受け取ったことではないのか?
そのタブーは、今の自分に必要なのか?
親の管理下にあった子供の時だけのものではないのか?
自分らしく生きることができたら、ストレスは最小限で済む。
けれども、他人(親)の価値観が自分らしさを抑圧し、自分らしく生きられないようにタブーを課す。
何もかも親のせいだと言っているのではない。
親は、親なりに子供を思っていただろうから。
でも、もう、オトナになった私たちは、そろそろ自分軸で生きてもいいんじゃないか?
手始めに、まずは親の言葉が元になったタブーを1つ、解除するのはどうだろうか?