「自立」?「孤立」?人間は依存し合って生きているから

Instagramのプロアカウントを作り、ここ数日、頑張って投稿している。
これは、私の潜在意識のシェアとも言えるもので、その日の朝に引いたカードを「今日のメッセージ」という形で出しているのだが。


今日のカードから大事なメッセージを受け取ったので、ここでシェアしたい。

今日のメッセージカードは、セルフセラピーカードの「自立」だった。

カードを見て、ハッとした私。
まさに、気づきの瞬間だった。


今朝、起きて考えていたことは、親の法事に関して、お寺さんとのやり取りを妹に頼んでしまったこと。
本来ならば長女で施主である私がすべきことを、結婚して姓が変わった妹に押し付けてしまったと、ひどく後悔したのだ。
罪悪感でいっぱいになった。

だから、やっぱりそれは私がすべきで、妹にはちゃんと断ろうと考えたのだった。

そんな矢先、引いたカードが「自立」だった。


「自立」というと聞こえがいいが、セルフセラピーカードの中で、このカードは良い意味で使われているものではない。


自立しようとして、他人を頼れない状況に陥っていないか?
自立といいながら、孤立になっていないか?
こうして、カードは自身の心に問い掛ける。


あぁ、私は、お寺さんとのやり取りを引き受けてくれるという妹の善意を、拒絶しようとしていたんだな…
妹は、姉の荷物を半分持ってくれると申し出てくれたのに。




「自立」の反対は「依存」だ。
「依存」は、良くない事として認識されることが多いだろう。
でも人間は、依存し合って生きるのが当たり前であり、依存して(依存されて)いるかどうかを判断することも難しいのである。


他人を頼ったり、頼られたり、甘えたり、甘えられたりしながら、人間社会はうまく循環している。



なのに、必要以上に責任を感じて自分を追い込むことは、時に逆効果なのだ。


善意で与えられるものは、遠慮なく受け取ればいい。
そして自分も、誰かに善意を与えればいい。



私は長女として生きてきたせいか、与えることは得意でも、受け取ることが苦手だ。
そのくせ、受け取り上手な妹を見ては妬ましく思っていた。


誰かに何かしてもらうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
さらには、自分が不甲斐ないからだ、自分の能力が低いからだ、と自分を責め始める。



しかし先日、伯母にカボチャの煮物をリクエストした時、伯母からお礼を言われたのだ。
「ありがとう。声を掛けてもらって嬉しかったわ」と。

夫と息子に食事を作り、何の評価もされずに黙って食べられる毎日の伯母にとって、姪っ子からの料理のリクエストがかなり嬉しかったらしい。


料理が下手だった我が家の母に比べて、伯母が作る料理はなんだって美味しくて、行くと持たせてもらえる手作りおかずが楽しみなくらいで。
材料を買ってきては、「作って」とリクエストするのだ。



それを「依存」と言うだろうか?


それを依存だと言うなら、私たち人間は、誰とも関われなくなる。


感情的なせいで他者と関わることが下手くそで、できれば家に引きこもっていたい私に比べ、妹は社交的で、誰とでも明るく上手に対話をする。
お寺さんとのやり取りも、私が行ってイライラするより、妹が行ってスムーズに対応した方がいいに決まってるのだ。


カボチャの煮物も、私が作るより叔母が作った方が、絶対に美味しいのだもの。



こうやって人間は、頼って頼られて生きていく。
だから、「自立」という、一見良さそうな言葉に惑わされてはいけないよね。


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