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8/1明日から、新しいサービスをスタートさせます。

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また、引き続き、HSP気質で生きづらさを抱えている人からのメールも受付中です。

お待ちしております♪




ここ数日、ほんと、暑いですよね~

愛猫のためにエアコンをつけて会社に行くのですが、帰宅すると、下階でも28℃くらいあってビックリです。

つい先日までは雨でジメジメしていたのに、こんなに急に変わると健康に悪いわ~

「暑いし! なんか、色々言いたい!」

と思うところがある方は、どうぞ遠慮なくメールくださいませ。

ストレスやマイナスの感情は、言葉にして吐き出すとスッキリすることが多いですよ。

「聞いてもらえるだけでいい」 理解を求めず、吐き出すことを目的に

私は自分がHSPだと分かってから、ひとつ、やめたことがありました。

それは、「他人に自分の言いたいことを理解してもらおうとすること」でした。

「私の言い分を分かってほしい」という気持ちを、捨てたのです。


私は以前から「みんな、話せば分かってもらえる」と思い込んでいました。

でも、どんなに話しても説明しても、全然分かってもらえないどころか、頭から否定され、批判され、攻撃されて孤立する結果になることが、あまりにも多すぎたと思います。

HSP気質の私は、話をする時にも他人軸で、相手の顔色をうかがって自分の本心を言えませんし、感情的になるので泣いたり怒ったりして話にならないことがほとんどでしょう。

なので、HSP気質のそういう自分なんだと分かった今回、もう、そこに期待をするのはやめたのです。



先日、会社でとてもショッキングな出来事がありました。

それは、とある上司から、心無い、傷つく言葉を言われたからです。

もちろん、その上司は、私がそれで傷つくなど微塵も思っていなかったでしょうけど、その言葉の破壊力はすさまじく、私はいまだに引きずってしまっている。

問題にすれば、パワハラやモラハラとして扱われる言葉だと思います。

でも、派遣社員である私には、派遣先の上司であるその人に対して何もできず、泣き寝入りするしかない。

けど、傷ついた自分の心が…、というよりも、私は私がかわいそうになりました。

こんなに一生懸命に働いているのに、それはないでしょ?と。

友達や妹に話をしましたが、「悔しい」「悲しい」が解消できませんでした。

そこで私は、職場の、ある男性社員に、自分が言われて傷ついた話をしたのです。

するとその男性社員は、言いました。

「僕も前に、同じようなことがあったよ。あまりにも悔しくて(社員の)〇〇さんや△△さんに愚痴った。そうやって、誰かに話すことも必要だと思う」


正直言って、私、驚きました。

もっと、厳しいことを言われるんじゃないか、と思っていたからです。

でも、その男性社員は、まるで「人に話して、ちょっと悪口大会してもいいんだよ」と言ってくれているようだった。



そこで私は、気づいたのです。

「分かってほしい」ではなく、自分に中にある本心やホンネを吐き出すだけでもいいんだ、と。


傷つかない自分、怒りを抱えない自分、愚痴や人の悪口を言わない自分。

そういうのって、私にはハードルが高すぎる。

だから、「分かってくれる人」じゃなく、「話を聞いてくれる人」に、傷ついたことや愚痴、悪口を言おう。



そして私は、しばらく時間をかけて考え、後日、別の上司に話を聞いてもらうことに決めたのでした。

私はこの上司に対して、とても自然に、相手の顔色をうかがうことなく、自分の中にあった「言いたいこと」を全て言えたと思っています。


後になって思いましたが、それはこの上司が、穏やかで攻撃的ではない性格だったことがその理由ではないか?と。

考えてみれば、「人の話を聞かない人」は、攻撃的な傾向があります。

人の話に耳を傾けるより、自分の意見を言う方が忙しい。

でも、最初に話をした男性社員も、この上司も、攻撃的なタイプではないのです。

まぁ、そうですよね。

「話しやすい人」というのは、穏やかで包容力がある人ですもんね。


私の親友も、私の妹も、感情的なタイプではありません。

口数が少ないわけではないけど、いきなり批判したり否定したりと、攻撃してくることはない。

だから、思いました。

そっか、私はこれから、こういうタイプの人たちを選んで話を聞いてもらえばいいんだ、と。



話をする時、「分かってほしい」「共感してほしい」を目的にすると、そこに生まれる期待も「分かってくれるだろう」「共感してくれるだろう」になりますね。

なのに、「分かってもらえない」「共感してもらえない」とする結果になった場合、ショックも大きくなる。

なので、そこを目的にするのはやめ、まずは自分の中の気持ちや事情を「聞いてほしい」にしたらどうか?

そうすれば、自分の周りに存在する「分かってくれる人」より「話を聞いてくれる人」の確立の方が、高くなるんじゃないか?



私がとある上司から心無い言葉で傷つけられたことを話すと、話を聞いてくれた上司は、「ちょっと酷いから本人に注意しようか?」と言ってくれました。

でも私は断りました。

別の上司に話したことで告げ口したと思われるなどして、関係が悪化するのだけは避けたかったので。

「ただ、聞いてほしかっただけなので」と言って話を終えた後、「あー、スッキリした」と実感することができたのが事実です。

話をしたことへの罪悪感もないし、言い足りなかったと不満足感もありませんでした。

もちろん、事実も本心も全て話しましたから。



私の親友が、よく「ごめんね、私は話を聞いてあげることしかできなくて」と言います。

ですが、その度に思う。

その「話を聞くだけ」が、どれだけ私を救っているか。

「あなたがいてくれるだけで、話を聞いてくれるだけで、私には十分なんだ」

そう思うのですよ。



自分の中にあるネガティブな気持ち、傷ついた事実を、吐き出すだけでいいのです。

「分かってほしい」はちょっと脇に置いて、穏やかで攻撃的じゃない人に、「聞くだけ聞いて」と愚痴ってみること、オススメします。

ひとつずつから始める。意識して「心と体が楽な方を選ぶ」こと

「私はHSPなんだ」と自覚してから、気づき多い毎日を生きています。

そこで自分なりにHSPと向き合って戦っていく覚悟をしました。

でも、何事にも「段階」があり、生まれ持った気質であることと、すでに52年間の習慣になってしまったことを急に簡単にはひっくり返せないな、と思ったので、まずは小さな目標を立てながら生活しています。


それは、「自分の心と体が楽な方を選ぶ」といった、小さな小さな目標です。

HSPの人って、無意識で「無理」「ガマン」する方を選んでしまう。

なぜなら、生活の全てが「他人軸」だから。

それを「自分軸」に戻すためには、無意識で行っていた「無理」や「ガマン」をしないようにするしかないかな~と思うのですよ。



昨日は、我が家の父親の一周忌法要でしたが、それも、ゴタゴタする親戚連中を呼ぶのはやめ、私と妹親子だけで行いました。

ありがたいことに、その状況を理解してくれたお寺の方丈さんから「子供と孫が来てくれたら、それが一番いいんですよ。自分たちのやり方でいいんです。自分たちで形を作っていけばいいんですよ」と言ってもらえました。

人間関係で怒りを溜め込んでは、極限までガマンして、ちょっとしたことがトリガーとなって一気に爆発して人間関係を壊してしまう…

といった生き方しかできなかった私には、その言葉が心に沁みました。


その法要後に妹親子と一緒にランチに行きましたが、そこでは妹夫婦が、私の分の食事代を支払ってくれたのです。

妹夫婦も共稼ぎをしていて、家計は決して楽ではありません。

ですが今回、お寺さんに支払った御布施も一部負担してくれたりして、派遣社員で働く私のお財布事情に気を使ってくれました。


今までの私は、そういうところで「おかしな意地を張る」傾向でしたが、HSPなんだと自覚してからは特に、「自分に無理をさせない。ガマンさせない」ことを徹底するようにしたのです。

「助けてあげる。協力してあげる」と言ってくれているのだから、その好意は素直に受け取ろうって。



実は先週から体調がだいぶ悪くて、水曜日の昼に会社を早退してから、木曜日、金曜日と欠勤してしまいました。

それも、「会社を休むこと」に罪悪感を抱える私にとって、とても大きなチャレンジだった。

「ちょっと無理すれば(会社に)行ける」

それが私のいつものスタイルです。

水曜日の朝、頭痛で目覚めた私は、会社を休むことができずに頭痛薬を通常の倍の量飲んで出勤。

しかし、結局薬が効いてこなくて、座っているだけでもキツい状態に。

「これじゃあ、自分を大切にしているとは言えない」と反省せざるを得ませんでした。

こういう時、「情けない」と考えてしまうのは、もしかしたらHSPの人の特徴かもしれません。

でも、「頑張って」早退し、「頑張って」会社を2日連続で欠勤しました。


おかしいでしょ?

自分の体調を優先するのに「頑張って」って。

けど、そうしないと自分を優先できないのが私なんですよね。



昨日、一周忌法要の後、妹親子と一緒にランチをし、さらにその後、大好きな甥っ子と買い物へ。

すでに頭痛も治っていたし、『私の「楽しい」は、大好きな人と行動すること』だと考え、大好きな甥っ子を買い物に誘ったわけです。

そして、この上なく楽しい時間を過ごせました。


今日は、洗濯をして、部屋の床掃除だけしました。

料理もせず、朝は焼いた食パンとカップスープ、昼はカップラーメン(笑)

おやつに菓子パン食べたりアイス食べたり(笑)

つい先ほどまで、ベッドに寝転がってウトウト昼寝。


こういう時決まって、自分の中の「2人の自分」が言い合いをします。

浩子A 「何やってるんだ!?サボってるな!日曜日も働け!掃除しろ!」

浩子B 「え~!?日曜日なんだもの、ダラダラしようよ~」

私の頭の中のこうした「言い合い」は、いつも、なのです。

そしていつも、浩子Aが勝ちます。

仮に浩子Bが勝った時には、「罪悪感」がずっと続きます。

なので私は、「罪悪感をどうするか?」が、今後の課題となりました。



「私はHSPなんだ」と分かったから、「HSPの人は自己犠牲を払うことがほぼ毎度なんだ」と知ったから、とにかく今はその「自己犠牲」を避けることが目標です。

それには、「無理」「ガマン」をしない、「心と体が楽な方を選ぶ」とする選び方を、その都度意識してしていくしかないのだと思います。

「自分を大切にする」こと。

まずはそこから。

「浩子」が許せない「浩子」だったけど

私は自分の名前(漢字)が嫌いでした。

「浩子」とは父親がつけたらしいのですが、その父親からいつも言われていたのが、「浩子なんてつけて失敗した」だったのです。

父親が言うには「水のように告げる、って、口数が多い」って。

まぁ、子供のころから「どこにいるか分かる」と言われるほどの独り言を言っていたようですし、黙っていることができない性分なのですね。

なので常に、「失敗した、失敗した」と言われ続けていたわけです。



しかし、この名前(漢字)の本当の意味ってちょっと違うぞ、と思えたのは、メンタルケアの仕事を始める前の、スピリチュアルにハマっていた時なのでした。

「浩子」の「浩」の「さんずい」は=「水」で、「水」=「感情」だと知る機会が来ました。

つまり、「浩子」は「水のように告げる」=「ベラベラ喋る」のではなく、「感情を告げる」という意味なのだと。


ところが、実際の私はHSP気質ですから、一番言わないのが「自分のホンネ(感情)」で。

人にどう思われるか?を気にしたり、人の気持ちや事情を優先するあまり、「自分の気持ち」を抑圧する生き方をしてきたのです。

でも、HSPに関する本を読み、その特徴や傾向を知ったことで、気づいた。

そっかぁ、私は、「浩子」という自分自身を、最も否定していた人間なんだ。…と。


メンタルケアの仕事を始めた時、私は自分の本名を公開できませんでした。

ですが、やがて公開できる時は来て、「浩子」という名前をホームページにも出すことができたのに。

数年前、突如として、この漢字で出すことが嫌になったのです。

なぜって、「浩子」という漢字が嫌いだったから。

そこで私は、メンタルケアの仕事をする時には「緋呂子」を使うことにしました。

「浩子」なんて地味で暗くて、水っぽくてビショビショしてるから嫌。

「緋」は明るい赤色「緋色(スカーレット)」だもの、こっちの方が絶対いいでしょ?と。

何より、「口数が多い」だけではなく、「私は言葉で人を傷つけ、自分も傷つく」という思い込み、決めつけがあったから「浩子」を嫌っていた。


でも、気づいたのです。

こうして本来の自分自身(浩子)を嫌って使わないってことこそ、自分を認めていない、受け入れていない、許していない、ってことなんだ、と。



名前って、生まれてくる時に自分で決めてくる、と言われます。(私はこの話を信じています)

そして「名は体を表す」と言いますから、「名前」はその人の生き方そのものだと思うのです。

なのに私は、「ありのままの自分で生きる」とかカッコいいことばかり言って、実はありのままの自分で生きようとしていなかったわけですよね。


「名前」と、その人の人生って、関係あると思います。

名前を変える人にとっても、名前って大きな影響を及ぼすものだからそうしたのだろうし。


私は今日、改めて、というか初めて、「自分を認めて受け入れる」という状態が理解できたように思えました。

「浩子」という漢字が持つ個性を受け入れずに、何をもって「自分を認めて受け入れる」なのか?

私はやっぱり「浩子」なのです。

どこにいるか分かるくらい大声で独り言言うし、口数多いし、余計な一言も、痛い図星の一言も言う。

でも、口から出るのは、ネガティブな言葉だけじゃない。

そう思って今日は、「浩子」という漢字の名前を、認めて受け入れることに決めました。

自分がHSPだと分かってショックを受けた後のこと

ここ最近、書店で「HSP」なるものの著書を見ること、多くなりました。

「HSP」とは、 Highly Sensitive Person の略です。

生まれつき敏感な人ということで、5人に1人くらいいるそうです。



先週、職場でちょっとショッキングな出来事がありました。

(詳細は後で書きます)

そのことに対してちょっと信じられないような異常さを感じ、かなり落ち込んでしまったのと同時に、「どうして私はいつもこういったことで傷つくのだろう?」と深く考え込んでしまったのです。

こういうこと、普通にあるんだろうか?

みんな、こういう経験を普通にしているのだろうか?

父親の一周忌法要のことでゴタゴタしたばかりでしたから、立て続けに起こる人間関係のトラブルに、本当に落ち込んでしまったのでした。



そこで金曜日、思い切って会社を休み、どこかでランチでも食べながらリフレッシュしよう、などと考えていたのですが…

気持ちが上がらないばかりか体調も悪くなり、気力もなくて、午前中寝込んでしまう羽目に。

でも、猫のご飯を買いに行かないとならず、午後になって頑張って外出したのです。

猫のご飯はいつも市外の大型ショッピングセンターへ行って買います。

しかし、買い物大好きな私も、さすがにこの時はウインドウショッピングする気にもならず、猫のご飯だけ買って帰路についたのですが。

これでは食事の支度もできないと考え、自宅までの間にあった別のショッピングセンターでお惣菜を買って帰ることに。


そこでふと、本の売り場に足が向きました。

ここ最近の自分の悩みを解決できるようなヒントがあるかもしれない。

そう思って本の売り場に行き、目についた本は…

「HSP」=「 Highly Sensitive Person 」に関する著書でした。


私は、自分がこういったトラブルを抱える人間だということを、認めない傾向でした。

それは、メンタルケアの仕事をしているくせに自分自身が悩み苦しんでいる、という現実を、恥じていたからです。


数年前、とある人に「うつ病になったような人に心理カウンセリングしてほしくない」とハッキリ言われたり、自律神経失調症で受診した当時の掛かりつけ医に「そういうの(ストレス)に対応する仕事をしているんじゃないの?」などと言われたりしたことで、いつしか、「悩んでいる自分」を隠すようになりました。

それでも、ブログでこうして自己開示することにより、自分と同じ苦しみをしている人の役に立つかもしれない、と、本当に小さな希望を抱いて書き綴ってきたのですが…


私はそこの本の売り場で、HSPに関する本を買いました。

そして帰宅後、一気に読んだ。

読んで気づいたことは、本に書かれていることの全てに自分自身が当てはまる、ということでした。


ショックでした。

問題の解決を求めて買った本が、こんな結果をもたらすとは。

そして私が思ったことは、

「HSPなんて、最悪だ。どうやって生きていったらいいんだ?やっぱり私はダメ人間じゃないか!」

だったのです。

まぁ、こう考えてしまうところが、まさにHSP気質、ということなんでしょうけどね。



本には、HSPの人の特徴と、生き方に対するアドバイスが書かれています。

興味がある人にはぜひオススメしたい。

『敏感すぎて生きづらい人の 明日からラクになれる本』

著者の長沼睦雄先生は、「日本では数少ないHSP臨床医」とのこと。

山梨県甲府市出身ということも、親近感が湧いた理由の一つです。


会社に行っては気を使い、疲れ果てて週末は動けなくなる、といった慢性疲労状態もHSPの特徴のようです。

それ以外にも、自分に起こっていた様々なことが、本を読んで全て納得できました。


私は、苦しい人生を終わりにしたい。

人と居ると疲れてしまうから、誰かと話をしたくてもできない自分。

人にどう思われるか?ばかり気にして、自分のホンネを抑圧してしまう自分。

普通の人が普通にできることが、できない自分。

普通の人なら普通に耐えられることが、耐えられない自分。

そして、こういう自分だからダメなんだ。こういう自分だから愛されないんだ。と、自分を責め続けてきた自分を、もう、終わりにしたい。


本を読んだ直後は落ち込みましたが、「嘆くだけの人生は嫌だな」と思ったのです。

なので今後は、HSPな自分を恥じることなく、責めることも隠すこともせず、今まで以上にありのままの自分自身を綴っていこうと決めました。


世の中には、「普通」というゾーンからはみ出して生きている人がいます。

でもそれは、「悪」なのでしょうか?

もしかしたら…私は、それらを「悪」だと思っていたんだと思います。

「普通」からはみ出している自分を、一番嫌っていたのは私自身だったのだと思います。


今、水星逆行中ですから。

「リベンジ」「リスタート」にはいい機会。

自分を認めて、受け入れて、許して、愛してあげる。

「普通」からはみ出している自分でもいいんだ、と、自分に言ってあげることが、幸せへの第一歩だと信じています。

もっと自分勝手でいい。大皿で来た料理を取り分けない私

「人と関わると疲れてしまう」のは、「ついつい人にいい顔してしまう」「怖くてNoが言えない」などの理由を持っていることが多いようです。

私もその一人で、人に対してピエロになりたがる自分がいます。

媚びて、笑顔をふりまき、自虐ネタで笑わせて…

あとになって虚しくなる。


でも私はここ数年、そんな自分を少しずつですが手放してきました。

これは簡単に言うと、自分に対して「もっと自分勝手でいいんだ」と、自分を許したことにあります。



例えば。

去年の夏、とある関係者たちの親睦会に参加しました。

そこでは女性ばかりのテーブルに着き、料理が次々と大皿で運ばれてきて…

お世話好きな人がいて、料理をせっせと取り分けてくれるのでした。


今の私、それ、絶対にやりません。

基本、「食べたい人が食べたいだけ取ればいいでしょ」という考えなので。


でも、こういうことをしない、と決めたばかりのころは、常に罪悪感との戦いでした。

元々が 「笑顔をふりまいて大皿の料理を取り分ける気が利く女を演じる女」でしたから。

「気が利かないと思われるのではないか?」「人に料理を取ってもらってて自分は何もしない人って思われるのではないか?」など、

「人にどう思われるか?」が頭の中でグルグルと回ってしまい、ついにはフリーズしてしまうことも。

そうなるともう、こういった機会を避けるしかなく、いつの間にか、すっかり「人付き合いが悪い人」になっていました。



でもね、世の中にはいろんな人がいて、その価値観も行動も、本当に様々ですよね。

自分の「好き」と人の「好き」は違うし、自分の「嫌い」も人の「嫌い」とは違う。

だから、親睦会で大皿の料理を取り分けようとどうしようと、たいしたことじゃないんですよ。

「こういう時には料理を取り分けるものだ」と思っている人は、そうすればいい。

「料理を取り分けてあげたい」と思っている人も、そうすればいい。

私は「勝手に取って食べるから放っておいてほしい」人なので、あんまり世話を焼かないでほしいのです。



良かれと思ってしていることの全てが、相手に喜ばれているわけではありませんよね?

だったら、「人にどう思われるか?」を気にし過ぎずに、自分の好きにしていていいのではないでしょうか?


数年かけて私はようやく、「笑顔をふりまいて大皿の料理を取り分ける気が利く女を演じる女」という自分を手放すことができました。

このプロセスにおいて、「そうしてあげたい」と自分軸で動くのなら構いませんが、「そうしなければいけない」と他人軸で動くのは最終的にいい結果は生まない、と学びました。


「自分勝手」という言葉は悪いイメージのようです。

でも、「人によく思われたい」「人に悪く思われたくない」などの下心がある「見返りを求めた行動」よりは、ずっと純粋ではないか?と思う私です。

終わったことなのにいつまでもクヨクヨしちゃう人へ

世の中には、ネガティブなことからサッと気持ちを切り替えることができる人と、できない人がいます。


私は後者で、いつまでもクヨクヨウジウジと「引きずるタイプ」です。

ですが私は、そんな自分の性質を「ダメだ」とは思っていませんし、「それなりに対処」をしています。

その対処とは、「徹底的に自分と向き合うこと」です。



「終わったことなのに」「どうにもならないことなのに」と、自分では分かっていても、どうしても、気持ちが向かってしまう。

それは、そこに「未完了なままの感情」があるからなのです。


つまり、中途半端に残ったままの気持ちや意識が存在しているから、それを見ないでいる(気にしない)ことや、頭を切り替えて別のことに集中するのは、少し難しい。

ですので私は、中途半端に放置しておくのをやめ、「未完了なままの感情」を「完了させる」ことにしています。



そのプロセスとして、まず、自分の中にある「未完了のままになっている気持ち」を探すことから始めます。

怒りや悲しみ、妬みや憎しみなどの、自分の中で未だくすぶっているネガティブな感覚を探すのです。

「未完了」とは、「不満足」の状態でもありますから、「自分は何が不満足か?」と考えてみてほしい。

「どうなったら自分は満足するか?」と考えると、答えは見つかりやすいです。



自分の中にある「未完了のままの感情」が分かったら、次は、「どうなったら自分は満足するか?」の「満足している状態」を考えます。

そしてその、「満足している状態」が、本当に自分にとって必要なのか?を考えるのです。



この辺のプロセスに来ると、かなりの気づきを得ているはず。

自分の「満足したい状態」が、全く現実的なものでなかったり、欲しいと思っていたけどそうでもなかったりして、それが「単なる執着」だったと気づくことが多い。



人間、手に入らないとなると、どうしても手に入れたくなりますね。

でも、それは、最初からいらないものだ、ホントは欲しくなかった、と分かったら?



ここまでのプロセスは、何時間も要するものではありません。

もちろん、何日もかけて考える時もあるでしょうけど、基本的に思考を使って行うことですから、ちょっとだけ自分と向き合う時間があれば十分。

「気にしない」ができずに引きずってしまう、私のようなタイプの人にはオススメしますので、ぜひ、試してみてくださいませ~

逃げられないなら、向き合うしかないですよ。