もっと自分勝手でいい。大皿で来た料理を取り分けない私

「人と関わると疲れてしまう」のは、「ついつい人にいい顔してしまう」「怖くてNoが言えない」などの理由を持っていることが多いようです。

私もその一人で、人に対してピエロになりたがる自分がいます。

媚びて、笑顔をふりまき、自虐ネタで笑わせて…

あとになって虚しくなる。


でも私はここ数年、そんな自分を少しずつですが手放してきました。

これは簡単に言うと、自分に対して「もっと自分勝手でいいんだ」と、自分を許したことにあります。



例えば。

去年の夏、とある関係者たちの親睦会に参加しました。

そこでは女性ばかりのテーブルに着き、料理が次々と大皿で運ばれてきて…

お世話好きな人がいて、料理をせっせと取り分けてくれるのでした。


今の私、それ、絶対にやりません。

基本、「食べたい人が食べたいだけ取ればいいでしょ」という考えなので。


でも、こういうことをしない、と決めたばかりのころは、常に罪悪感との戦いでした。

元々が 「笑顔をふりまいて大皿の料理を取り分ける気が利く女を演じる女」でしたから。

「気が利かないと思われるのではないか?」「人に料理を取ってもらってて自分は何もしない人って思われるのではないか?」など、

「人にどう思われるか?」が頭の中でグルグルと回ってしまい、ついにはフリーズしてしまうことも。

そうなるともう、こういった機会を避けるしかなく、いつの間にか、すっかり「人付き合いが悪い人」になっていました。



でもね、世の中にはいろんな人がいて、その価値観も行動も、本当に様々ですよね。

自分の「好き」と人の「好き」は違うし、自分の「嫌い」も人の「嫌い」とは違う。

だから、親睦会で大皿の料理を取り分けようとどうしようと、たいしたことじゃないんですよ。

「こういう時には料理を取り分けるものだ」と思っている人は、そうすればいい。

「料理を取り分けてあげたい」と思っている人も、そうすればいい。

私は「勝手に取って食べるから放っておいてほしい」人なので、あんまり世話を焼かないでほしいのです。



良かれと思ってしていることの全てが、相手に喜ばれているわけではありませんよね?

だったら、「人にどう思われるか?」を気にし過ぎずに、自分の好きにしていていいのではないでしょうか?


数年かけて私はようやく、「笑顔をふりまいて大皿の料理を取り分ける気が利く女を演じる女」という自分を手放すことができました。

このプロセスにおいて、「そうしてあげたい」と自分軸で動くのなら構いませんが、「そうしなければいけない」と他人軸で動くのは最終的にいい結果は生まない、と学びました。


「自分勝手」という言葉は悪いイメージのようです。

でも、「人によく思われたい」「人に悪く思われたくない」などの下心がある「見返りを求めた行動」よりは、ずっと純粋ではないか?と思う私です。