「浩子」が許せない「浩子」だったけど

私は自分の名前(漢字)が嫌いでした。

「浩子」とは父親がつけたらしいのですが、その父親からいつも言われていたのが、「浩子なんてつけて失敗した」だったのです。

父親が言うには「水のように告げる、って、口数が多い」って。

まぁ、子供のころから「どこにいるか分かる」と言われるほどの独り言を言っていたようですし、黙っていることができない性分なのですね。

なので常に、「失敗した、失敗した」と言われ続けていたわけです。



しかし、この名前(漢字)の本当の意味ってちょっと違うぞ、と思えたのは、メンタルケアの仕事を始める前の、スピリチュアルにハマっていた時なのでした。

「浩子」の「浩」の「さんずい」は=「水」で、「水」=「感情」だと知る機会が来ました。

つまり、「浩子」は「水のように告げる」=「ベラベラ喋る」のではなく、「感情を告げる」という意味なのだと。


ところが、実際の私はHSP気質ですから、一番言わないのが「自分のホンネ(感情)」で。

人にどう思われるか?を気にしたり、人の気持ちや事情を優先するあまり、「自分の気持ち」を抑圧する生き方をしてきたのです。

でも、HSPに関する本を読み、その特徴や傾向を知ったことで、気づいた。

そっかぁ、私は、「浩子」という自分自身を、最も否定していた人間なんだ。…と。


メンタルケアの仕事を始めた時、私は自分の本名を公開できませんでした。

ですが、やがて公開できる時は来て、「浩子」という名前をホームページにも出すことができたのに。

数年前、突如として、この漢字で出すことが嫌になったのです。

なぜって、「浩子」という漢字が嫌いだったから。

そこで私は、メンタルケアの仕事をする時には「緋呂子」を使うことにしました。

「浩子」なんて地味で暗くて、水っぽくてビショビショしてるから嫌。

「緋」は明るい赤色「緋色(スカーレット)」だもの、こっちの方が絶対いいでしょ?と。

何より、「口数が多い」だけではなく、「私は言葉で人を傷つけ、自分も傷つく」という思い込み、決めつけがあったから「浩子」を嫌っていた。


でも、気づいたのです。

こうして本来の自分自身(浩子)を嫌って使わないってことこそ、自分を認めていない、受け入れていない、許していない、ってことなんだ、と。



名前って、生まれてくる時に自分で決めてくる、と言われます。(私はこの話を信じています)

そして「名は体を表す」と言いますから、「名前」はその人の生き方そのものだと思うのです。

なのに私は、「ありのままの自分で生きる」とかカッコいいことばかり言って、実はありのままの自分で生きようとしていなかったわけですよね。


「名前」と、その人の人生って、関係あると思います。

名前を変える人にとっても、名前って大きな影響を及ぼすものだからそうしたのだろうし。


私は今日、改めて、というか初めて、「自分を認めて受け入れる」という状態が理解できたように思えました。

「浩子」という漢字が持つ個性を受け入れずに、何をもって「自分を認めて受け入れる」なのか?

私はやっぱり「浩子」なのです。

どこにいるか分かるくらい大声で独り言言うし、口数多いし、余計な一言も、痛い図星の一言も言う。

でも、口から出るのは、ネガティブな言葉だけじゃない。

そう思って今日は、「浩子」という漢字の名前を、認めて受け入れることに決めました。