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心理カウンセラー 甘利浩子

1967年生まれ 水瓶座 
誕生数33 kin106 白い世界の橋渡し

取得資格等

  • メンタルケア心理士
  • ヘルスマネジメントⅡ種
  • JCLTA認定 ヒューマンカラーアナリスト
  • カードセラピスト(セルフセラピーカード)
  • ヒプノセラピスト (ABH:米国催眠療法協会認定ライセンス取得)
  • JPHAA認定 パステル和(NAGOMI)アート正インストラクター
  • 日本精神技術研究所主催 アサーショントレーニング基礎ー理論コース研修終了

私は今日まで、こんな人生を生きてきました(長文です)

私は自他共に認める変わり者です(笑)
そして、ハイスコアのHSP(ハイリーセンシティブパーソン)でもあります。

なので「繊細で複雑」が私であり、その性質ゆえに「他人に理解されない」といった状態を常に抱えて生きてきました。

公務員だった両親は、いつも「人の目」を気にする人たちでした。
良くも悪くも目立たないよう「普通」を私に求めたのですが、HSPプラス変わり者の私がその期待に応えることなどできませんでした。

亡くなった人達のことを悪く言うのもなんですが、父親は自分のストレスを暴力という形で私にぶつける人だったし、母親も自分の身に起こる都合の悪いことを私のせいにする人で。
家では、殴る蹴るの暴力を受ける上に誰も助けてくれないという、孤独で悲しい子供でした。
しかし「人の目」を気にする両親は、揃って、自分たちがしていることを正当化しますから、親戚や周囲の大人たちの間で悪者扱いされるのはいつも私で、何て言うか…、常に「理不尽さ」を感じていましたね。

なのに、「親から愛されたい私」は、必死で親に気に入られようとする。
親に嫌われないよう、親が望む子供でいるよう、歪んだ自己アピールを繰り返して。

共稼ぎで日々時間に追われていた母親は、5歳下の妹の面倒を看た時だけ感謝の言葉をかけてくれました。
つまり、「母親の仕事を代行する」ことで私は、母親から感謝される。
もともとがHSPの私ですから「相手が何を望んでいるか」が手に取るように分かってしまいます。
そこで母親の様子を常に見ていては「役に立つこと」を察して動くことに必死でした。

そんな努力をしていても、「自分」という「素(個性)」がちょいちょい顔を出し、「親にとって都合の良い子供」になれなくなっていったのです。
結果的に私は思春期以降、「反抗」という形で親に自己主張しました。
そのせいで「親から愛されない」が加速し、何をしても親から認めてもらえることなく生きてきたのでした。

家の外でもやはり、自分を偽って他人に迎合する生き方でした。
我が家では親の言うことに逆らうと暴力や暴言、無視などで攻撃されますから、それを回避するために「親の言うこと」には常に「YES」でいる必要がありました。
だから家の外でも、他人が言うことに異論を唱えると攻撃されるといった無意識が働き、「YES」を言うことで安心感を得ていたのです。

「相手が望むものを与えていれば攻撃されない」=「相手の期待に応えていれば安全」でした。
それはまるで「道化師」ようだと感じていました。
相手の前で、相手を喜ばせるためのパフォーマンスをする…
でも、自分はちっとも楽しくない…

やがてそういう自分が他人に対するコミュニケーションスタイル・パターンとして出来上がってしまい、「心」と「言動」が合わないことが当たり前になっていきます。
本当は嫌で嫌で仕方がないことも、相手がそれを望んでいると察しては、積極的に引き受ける。
びくびくオドオドしながら他人の顔色をうかがい、それから自分の動きを決めるといった他人軸のコミュニケーション。
全然大丈夫じゃなくても「大丈夫です!」と返事をしてしまっては、あとから後悔して自己嫌悪することの繰り返し。

そんな私も20歳の時に、当時仲が良かった友達に、子供のころから父親に暴力を振るわれてきたこと、母親から暴言を吐かれてきたことを、勇気を出して打ち明けたことがあったのです。
ところが、その友達から返ってきた言葉は「またまたぁ、浩子ちゃん、話が上手いんだからぁ」で。

…そうか、誰も信じてくれないんだ。
だったら言うだけバカだな。
(今思うと、一般的な家庭で育った友達には想像もできない話だったからでしょうね)

その時から私は、過去の自分に起こったことを他人に言わなくなりました。
本当のことを話しても信じてもらえないのだからと、「自分」を閉じて、他人を信じない、他人に心を許さない状態でいたのです。

しかし、そんな状態は自分をどんどん苦しくさせていきます。
それに親たちに対しても他人に対しても関わり方は同じでしたから、本当の自分を出せない、理解してもらえない辛さは怒りとなり、人間関係には常に不満とストレスを抱える結果に。

そして、「本当の自分」を偽り続けたツケが、ついに、「うつ病」という形で襲ってきたのでした。
「〇〇したい」「〇〇したくない」という自分の心の声を全て却下してきた成れの果てでした。
うつ病になったことで仕事と収入を失い、友達はよそよそしくなり、再発の恐怖で息をするのも苦しくなって。
うつ病になる前よりずっと辛かったと思います。

その後、「うつ病の種を破壊する」と決めた私は、今まで絶対にしなかった「休業宣言」を、親たちの前でしました。
「働かざる者食うべからず」と言っては、仕事が長続きしなくてすぐに辞める私を批判してきた親たちに対し、生まれて初めて「真正面」から自分の意見を言った。
それまでは、親たちと向き合うことができずに、嘘や家出を繰り返していましたから。

そんな親たちが病気になり、介護の必要が発生しました。
その時まだ「うつ病の種」が破壊しきれずにいた私は、親たちの介護をしながら、無理やガマンを重ねていきました。
そして、そんな私を理解してくれる人は少なくて、否定や批判、上辺だけの賞賛や安っぽい労いの言葉に、怒りと悲しみを感じていたのです。

自分がしてきたことを悔いていた父親に比べて、母親は、最初から嫌悪感をあらわにして私に暴言を吐き続けていました。
そんな状態の中、私の中で積み重なっていた怒りが限界突破したのでしょうね。

散々傷つけられてきた親たちに、どうしてここまで尽くさなきゃいけないのか。
自分にガマンをさせてまで、どうして犠牲にならなきゃいけないのか。

その時から、いよいよ「本当の自分を出す」ことに腹をくくったというか、開き直ったというか、自分の気持ちを言葉にしたり行動にしたりするようになったのです。

「NO」を言うことを意識し始めると、無意識の自分が抵抗することにも気づきました。
今までずっと「YES」しか言ってこなかったから当然のことでしょう。

でも、「ガマンをしない、無理をしない、NOを言う」を意識しながら生活していると、自分の周囲の人間関係が変わってきたのです。
周囲の人間の質が変化することがハッキリ分かるようになりました。

「NO」が言える人たちと出会っていくのです。
それは、私が発する「NO」を受け入れてくれる人たちでもありました。

「大丈夫じゃないから大丈夫じゃないって言ってもいいんだ」
「嫌だから嫌って言ってもいいんだ」
「無理だから無理って言ってもいいんだ」
そう確認できることが日々起こり、気づくと、HSPで変わり者の私を理解してくれる、受け入れてくれる、仲良くしてくれる人たちだけがいてくれて。
今はこういう人たちと関わることで、少しづつですが、何事にも必要以上に気を使わない、楽チンな生活をし始めています。

自分を偽って生きることは、本当にキツイです。
常に他人を軸に生きていたせいで、自分の軸がどこにあるのか、どういうものかさえ分からなくなってしまい、「自分がやりたいことが分からない」という状況にもなったり。

(占星術では)「物質、忍耐や積み重ね」といった地(土)の時代が終わり、「自由や個性」の風の時代がスタートした今、「目に見えないもの」「心や意識」に目を向けることが幸せに繋がるのだと思っています。
そして私は、「自分らしく生きる」ことで手に入る喜びを、できるだけたくさんの人たちと分かち合いたいのです。